泉岳寺~赤穂四十七義士墓所と忠臣蔵討ち入りの謎!赤穂義士祭と記念館への電車、バス、車でのアクセスと駐車場情報~

 

泉岳寺(せんがくじ)は、中国禅宗の祖である菩提達磨、日本における道元禅師を開祖とする曹洞宗の青松寺、総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺のひとつに数えられる寺院です。

泉岳寺は、浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られており、赤穂義士の墓所や義士記念館があることで多くの参拝客が訪れ、毎年4月初旬と12月14日には義士祭が執り行われることで有名です。

また、諸国の僧侶が参学する学寮のひとつとしても知られ、その家風は引き継がれており、現在でも大学で仏教を学びながら泉岳寺で修行を勤めるという修行僧がいます。

 

泉岳寺の歴史

sengakuji41慶長17年(1612年)に門庵宗関和尚(今川義元の孫)を徳川家康が外桜田に招いて創建しましたが、寛永の大火で焼失し、後に毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の五大名が徳川家光に命じられて現在の高輪の地で再建されました。

赤穂義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに世間の批判が集まり、あわててこれらの品を買い戻したという逸話もあります。

 

忠臣蔵

Utagawa_Kunisada-c1850-Horibe_Yahei-Horibe_Yasubei赤穂浪士は、主君浅野内匠頭長矩への忠義を誓った家臣47人の仇討ち話「忠臣蔵」として人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の演目に取り入れられました。

 

幕府が布かれていた時代に仇討ち話はご法度でしたが、「忠臣蔵」に登場する四十七士の主君を想う忠義の心と潔く散った様が大衆の共感を呼び人気となったことで、現在でも年末恒例のテレビドラマや舞台などで最も知られている忠義物語のひとつです。

 

 

あらすじ

浅野内匠頭は、吉良上野介(きらこうずけのすけ)から度重なる侮辱を受け続けてきましたが、我慢しきれずに江戸城中、松の廊下で刀を抜いて吉良に斬りかかってしまいました。

その罪を問われた浅野は切腹を命じられ、領地まで没収されてしまいましたが、吉良にはなんのお咎めもありません。

この不公平な裁きに浅野の家臣たちの間で不満が高まり、大石内蔵助を中心とした四十七士が主君の仇である吉良を討つために立ち上がります。

元禄15年(1702)12月14日、雪の中、大石内蔵助たち四十七士は、吉良低に討ち入り、吉良を討ち取りました。

大石内蔵助たち四十七士は、浅野内匠頭が眠る泉岳寺の墓前にて仇である吉良を討ちとったことを報告し、四十七士全員が切腹を命じられ、幕を閉じるという忠義の物語です。

 

赤穂義士祭

gisi赤穂浪士四十七士が主君浅野内匠頭の仇であった吉良低に討ち入りした12月14日には、赤穂義士を供養するため、全国で赤穂義士祭が開催されています。

その中でも四十七士の墓があることで知られている泉岳寺では、春と冬の年二回、赤穂義士祭を開催しています。

12月14日に行う冬の赤穂義士祭では、墓前供養をはじめ、赤穂義士行列も催され、大変賑わう一日となります。

このように泉岳寺は、赤穂義士に縁の深い寺院ですので、境内には赤穂義士記念館や赤穂義士ゆかりのものが多く展示してあり、赤穂浪士、忠臣蔵ファンが楽しめるスポットでもあります。

 

国指定史跡 赤穂四十七義士墓所

photo09浅野長矩の墓とその家臣赤穂義士たちの墓です。

赤穂浪士は、一般的に「四十七士」と呼ばれますが、ここには48基の墓塔があります。

なぜ48基なのでしょうか?

あらすじでは書きませんでしたが、実は討ち入りに参加していない義士がいるのです。

その48人目の赤穂義士とは、萱野三平(重実)です。

萱野三平重実は、討ち入りより以前に自害して果てていますので討ち入りの四十七士には入っていませんし、泉岳寺の墓塔にも遺骨の埋葬はされていません。

また、間新六郎光風は、遺骸を遺族が引き取ったため、これも泉岳寺には埋葬されていません。

討入りに参加した浪士の中で吉田忠左右衛門家来であり、浅野内匠頭長矩の直接の家来ではなく唯一切腹をまぬがれた寺坂吉右衛門信行も遺骸の埋葬を伴わない供養塔です。

尚、切腹をまぬがれた寺坂吉右衛門信行以外の義士の戒名は全て最初の文字が切腹を意味する「刃」となっています。

 

大石内蔵助吉雄銅像

photo04大石内蔵助吉雄銅像は、浪曲の宗家桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものです。

内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の江戸方向をじっとにらんでいる姿を表しています。

 

赤穂浪士にゆかりのある史跡

大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた主税梅、義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植した瑤池梅、浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている血染めの梅、義士たち吉良上野介の首級を洗ったとされる首洗い井戸

 

赤穂義士記念館

photo10以前は現在の講堂に義士にゆかりのある品々を展示していましたが、討ち入り300年を記念に新たに建てられた義士に関する資料館です。

赤穂義士記念館には、義士の貴重な遺品などが納められており、忠臣蔵についての動画も上映されます。

現在の講堂は、1階で学寮講座が開かれるスペースとなっており、2階に義士木像館として江戸時代終わりから明治二年までに制作された木彫りの四十七義士像が展示されています。

拝観時間: 夏と冬で違いますので注意をしてください。
夏(4/1~9/30)9:00~16:30 / 冬(10/1~3/31)9:00~16:00

拝観料(赤穂義士記念館と義士木像館共通):
大人 500円 / 中高生 400円 / 小人 250円 / 団体30名以上 400円

 

泉岳寺へのアクセス

〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1
TEL:03-3441-5560 / FAX:03-3441-2208

開閉門時間:
夏(4/1~9/30)7:00~18:00
冬(10/1~3/31)7:00~17:00

 

電車でのアクセス

東京都営地下鉄の浅草線に乗り「泉岳寺」駅で下車してA2出口を出て徒歩約1分。

 

バスでのアクセス

都バスの品川~新宿(品97)に乗り「泉岳寺前」停留所で下車してすぐ。

都バスの五反田~六本木(品96)に乗り「泉岳寺前」停留所で下車してすぐ。

 

車でのアクセス ~駐車場情報~

泉岳寺第2パーキング

収容台数: 127台
駐車制限: 全長5,000mm 全巾1,900mm 全高2,300mm 総重量2,000kg
営業時間: 24時間
利用料金: 20分/200円(8時~18時) ,  60分/100円(18時~8時)
最大料金: 平日 24時間毎1700円  ,  土日祝 24時間毎1400円  ,  全日夜間500円(18時~8時)
近くにあるその他の駐車場はこちら

 

忠臣蔵、討ち入りの謎

赤穂義士四十七士による吉良低討ち入りには、謎があるといいます。

もしかすると幕府が陰で仇討ちを支援していたのではないかという説があり、竹村公太郎著「土地の文明」では、3つの理由が書かれています。

ひとつは、赤穂義士たちの3分の1は、当時江戸で最も警備が厳重だったとされる麹町に潜伏していたことから江戸幕府が義士たちをかくまった可能性があるというものです。

実際わざわざ警備が厳重な麹町に潜伏するのもおかしなことですし、吉良を討たせるために幕府がかくまったととらえてもおかしくはありません。

二つ目に、討ち入りが行われる前に幕府の命により、吉良邸を八重洲の廓内から本所に移転させているというものです。

これも幕府が仇討ちを支援していたとしたら、厳重な廓内から人の少ない本所へ吉良低を移すことによって赤穂義士たちの討ち入りには好都合となったわけです。

三つ目に、もともと徳川家と吉良家は、矢作川の水争いを繰り返し、徳川家は常に負けていたというのです。

これも考え方によっては、幕府が赤穂事件を利用して吉良家の断絶に成功したともとらえられます。

幕府にとって憎い吉良家を断絶でき、さらには赤穂義士たちを家康が建造した泉岳寺に埋葬し「忠義の士」という幕府に好都合な伝説をつくったとしてもおかしくはないでしょう。

というのです。

sengakuji1
う~ん。 歴史に埋もれた真実はいかに!?

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