脱獄王・白鳥由栄|味噌汁脱走事件と網走刑務所

過酷な収容環境で知られる網走刑務所は、「一度入ったら二度と出られない」と言われた場所でした。
白鳥由栄は、そんな刑務所からの脱獄を成功させ、脱獄王の異名を得た人物です。

思いもよらぬ方法を駆使した、脱獄の手口をご紹介したいと思います。

 

白鳥由栄の脱獄歴

白鳥由栄(しらとりよしえ)は、生涯に渡って4度の脱獄を成功させた人物です。
明治40年(1907年)に青森県に生まれ、幼少期に豆腐屋の養子に出されました。
真面目な性格の男でしたが、蟹工船での出稼ぎで博打を覚えてしまい、道を踏み外してしまいます。

26歳のときに、博打のための金ほしさに、仲間とともに強盗殺人に手を染めます。
白鳥由栄自身は殺人を犯してはいませんが、共犯者が逮捕されたことをきっかけに自首。
青森刑務所に送られたことで、脱獄人生の幕が開きました。

 

青森刑務所を脱獄

白鳥由栄白鳥由栄が収監された当時の刑務所は、囚人にとって劣悪な環境でした。
居丈高な看守に罵倒され、厳しい体罰を受けることは、日常茶飯事だったのです。
看守からの扱いに激怒した白鳥は、脱獄を計画します。

このときとった方法は、くすねた針金を利用して、鍵を開けるというものでした。
手先が器用だった白鳥は、解錠に成功し逃亡。
脱走時には、布団の中に身代わりの枕などを仕込み、看守の巡回時間の隙をつくという周到さです。
看守が布団の身代わりに気がついたときには、すでに青森県の山中まで逃げおおせていました。

しかし、潜伏期間中に食べ物に困り、町に下りたところを発見され逮捕。
青森刑務所に送り返されることになります。
白鳥由栄は、罪を重ねたことにより、無期懲役が言いわたされ、その後、宮城刑務所、小菅刑務所、秋田刑務所と、各地の刑務所を転々とすることになります。

 

秋田刑務所を脱獄

白鳥由栄戦時中になると、秋田刑務所へと収監。
脱走の前科がある白鳥由栄への扱いは厳しく、鉄格子つきの天窓しかない狭い独房のなかで、手錠をつけたままの性格を送らなければいけませんでした。
環境の改善を求めるも、聞き届けてもらえず、ここでも脱走を決意します。

このときとった方法は、ブリキの破片と錆びた釘を利用してノコギリを作ることでした。
破片のフチに凹凸をつけ、鉄格子の横部分の木を切り取っていったのです。
隙をみつけては、地道に取り組み、ついに天窓の鉄格子を外すことに成功します。
嵐の夜に、風雨にまぎれて姿をくらませてしまいました。

しかし、驚くことに数ヶ月後に、東京の小菅刑務所の看守宅に姿を表します。
小菅刑務所では、人道的な扱いを受けていたため、秋田刑務所の劣悪な収監生活を訴えるために訪れたのです。
その後、再逮捕され、極寒の網走刑務所へと送られていきます。

 

網走刑務所を脱獄

網走刑務所網走刑務所は、一度入ったら二度と出られないと呼ばれた、日本最北端の刑務所です。
冬になると零下30℃を記録する過酷な気候と、熊などの野生動物が跋扈する環境から、脱走は不可能と言われていました。

冬でも着物1枚で独房に放り込まれ、四六時中、手錠つきで過ごしていた白鳥由栄は看守に対して「毛布をもう一枚下さい。さもないと脱獄します」と言ったといいます。

白鳥由栄は、再び環境の酷さから脱走を計画していきます。
脱獄不可能といわれた網走刑務所からの脱獄は驚きの方法なので白鳥は一躍有名になったほどでした。

このときとった方法は、味噌汁を鉄格子に垂らし、塩分を利用して錆びさせるというものです。
1年ほどかけて、根気よく味噌汁を垂らすことに取り組んだ結果、見事に鉄格子を取り除くことに成功したのです。
身体の関節を自在に外すことができた白鳥は、狭い小窓から、脱出していきました。
網走刑務所、初の脱獄成功者となったのです。

その後、2年ほど山中に潜伏していましたが、町に向かう途中でスイカ泥棒と間違われ、農家ともみ合いになります。
はずみで農家の人を殺害してしまい、逮捕。
死刑判決を受けて、札幌刑務所へと送られていきました。

 

札幌刑務所を脱獄

数多くの脱獄を成功させてきた白鳥由栄は、看守4人から徹底的に監視される生活を送ります。
天窓や鉄格子が特別補強された独房までもが準備されるほどの徹底ぶりでした。
このときとった方法は、風呂場に備えられている桶のタガと、食事のための食器を利用することでした。
タガを材料に、数日間かけて独房の床を切り取るためのノコギリを作成し、食器で床下の土を掘っていったのです。
そして、4度目の脱獄も、見事に成功させてしまいました。

その後、札幌市内に潜伏しますが、警察官に職務質問されました。
警察官は親切な態度で、白鳥由栄にタバコを一服させると、白鳥は「実は自分は白鳥由栄です。貴方が逮捕して手柄にして下さい」と言ってすんなり逮捕されたといいます。
また、農家殺害の罪も、殺意がなかったことが認められ、死刑は撤回される結果となりました。

これをきっかけに、真面目に服役するようになり、昭和36年に模範囚として仮出所が認められます。
人生の半分以上が、刑務所生活と脱獄の繰り返しだった白鳥由栄は、昭和54年に波乱に満ちた人生を終えました。

 

脱獄王・白鳥由栄|味噌汁脱走事件と網走刑務所 まとめ

白鳥由栄像一度入ったら二度と出られないと呼ばれた網走刑務所を、味噌汁で鉄格子を錆びさせるという根気と工夫で脱出した白鳥由栄。
現在の網走刑務所は、観光地となっています。

施設を訪れると、脱出当時の様子を再現した「白鳥由栄人形」がいますので、一度会いに行ってみるのも面白いかもしれません。
白鳥由栄が生活した、刑務所の中の暮らしも見学できますよ。

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