野坂昭如さんといえば、自らの空襲体験を基に戦争の悲劇を描いた「火垂るの墓」で直木賞を受賞した作家として知られています。

また、野坂昭如さんは「おもちゃのチャチャチャ」の作詞家であることもよく知られており、歌手や参院議員など幅広い分野で活躍しました。

2015年12月9日、野坂昭如さんは東京都杉並区の自宅から意識不明の状態で救急搬送され、午後10時37分、心不全のため死亡が確認されました。

享年85歳。

火垂るの墓には、実在の地名や建物が多く登場しますが、「火垂るの墓を歩く会」という同好会を開催してきた辻川敦さんは「戦争を知る世代が少なくなり、野坂さんは苦々しい思いを抱かれていたと思う。安らかにおやすみください」と語ったといいます。

また、野坂さんは火垂るの墓の舞台のひとつである西宮回生病院の旧病棟が老朽化で取り壊されるにあたって朝日新聞阪神版に「歩きつづけてください。戦争を忘れないでください。舞台は何も変わっていない」とつづったといいます。

 

野坂昭如 VS 大島渚

昔に話題になった放送事故というか事件ですが、今になって久々に動画を見たくなりました。

東京プリンスホテルで開かれた大島渚監督と小山明子夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで、野坂昭如さんが祝辞を述べた後に大島渚監督に強烈な右フックを食らわせたのです!

野坂昭如さんのパンチは、大島渚監督のあごに当たり、負けじと大島渚監督も手に持っていたマイクで野坂昭如さんの顔面を2発殴って仕返ししました。

 

野坂昭如さんが大島渚さんを殴った理由

動画の中でも「祝辞を読むのに何時間も待たされた」ことに野坂昭如さんが腹を立てたと解説されていますが、発端は大島渚さんは野坂昭如さんに祝辞を読んでもらおうと招待したはずでしたが、野坂昭如さんの姿が見当たらず、野坂さんが帰ったと思って順序を飛ばして祝辞が行われていたそうで、実は野坂さんはその場に居て夫妻の名を織り込んだ和歌を読もうと自分の名前が呼ばれるのを待っているうちにかなりの量の酒を飲んでいたので野坂さんは足元もおぼつかない泥酔状態だったというのです。

このほか、野坂さんの酒癖の悪さ、特に酒乱の様は、業界でも良く知られていました。

 

野坂昭如と大島渚の確執?

野坂昭如さんと大島渚さんは、テレビ番組「朝まで生テレビ」に共演していてかなり親しい付き合いがあったので余計に腹が立ったのでしょう。

もちろん確執があったり、仲が悪いわけではないので、後に大島渚さんが野坂昭如さんに謝罪の手紙を書き、野坂昭如さんも大島渚さんに謝罪してこの事件は和解したのです。
いわば老人の殴り合いの喧嘩!

当時のことを思い出しながら動画を見ていてスカッとしました!

野坂昭如さんのご冥福をお祈りします。

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