令和

新元号は令和(れいわ)と発表されました。
この新元号「令和」って誰が決めるのでしょうか。

元号が令和と決定されるまでには、様々な予想がされており、我々国民にとってもひとつの楽しみのような話題となりました。
中でも信憑性の高かったのが、近代においてあらゆる契約や登録などで記入する機会の多い、生年月日の頭文字表記です。
生年月日の記入を簡略化するために用いられてきた明治、大正、昭和、平成、それぞれの頭文字「M」「T」「S」「H」を選定することは無いのではないかというものです。
また、過去に使用されてきた漢字にも注目されました。
これまで元号に使われた漢字は以下の通り。

1位 「永」    29回
2位 「元」「天」 27回
3位 「治」    21回
4位 「応」    20回
5位 「正」「長」「文」「和」 19回

これをみると「永」「元」「治」などが選定される可能性は高いと噂され、仲間内で予想などをされた方も多いのではないでしょうか。
結果、5位であった「和」の漢字が入っていますね。

さて、新元号「令和」と発表したのは内閣官房長官・菅義偉氏ですが、発表に至るまで、どうやって、誰が決めたのか。
改元の理由と選定基準、そして誰が決めるのかについてお話したいと思います。

 

改元の理由

世界一長いといわれる日本国の歴史の中で元号は、様々な理由で改元されてきました。

  1. 君主の交代による代始改元
  2. 吉事を理由とする祥瑞改元
  3. 凶事に際してその影響を断ち切るための災異改元
  4. 三革を区切りと見なして行われる革年改元(三革とは、革令<甲子の年>・革運<戊辰の年>・革命<辛酉の年>)

日本国は、古くから災害の多い国であったこともあり、比較的③の凶事に際してその影響を断ち切る災異改元が多いように思います。
さらに、現在では、天皇一代につき元号一つという「一世一元の制」が適用されてきました。
また、昭和54年に施行された「元号法」により、「一世一元の制」は法律として定められることになりました。
これは、新天皇を祝した代始改元の意味と、「天皇陛下が崩御された」という国民の悲しみから、災異改元という両方の意味を持つ改元理由と言えるでしょう。

さて、今回の元号「令和」の改元理由は、200年ぶりともいわれる譲位によるものですから、代始改元に当てはまります。

 

令和は誰が決めたのか

平成の元号制定「平成」という元号は安岡正篤という陽明学者が考案し、「内外、天地とも平和が達成される」という意味だったといわれています。
他の候補として「修文」と「正化」が挙げられていたといいます。

さて、今回の元号「令和」は誰が決めたのかという疑問ですが、昭和54年に施行された元号法では、具体的な決定方法は定められていません。
そこで、「平成」を決めた経緯をみるとわかるのではないでしょうか。
以下に、平成を決める際に行った手順を紹介します。

  1. 内閣首相が有識者に2~5つの候補の提出を要請
  2. 漢文学や国文学関連の大学教授ら有識者が候補を考案
  3. 有識者による「元号に関する懇談会」を開催
  4. 内閣官房長官が候補を整理選定
  5. 閣僚会議で協議
  6. 国民を代表する形で衆参両院議長の意見を聞く
  7. 臨時閣僚会議で決定

有識者

まず①ですが、今回の新元号「令和」の選定において候補を要請された有識者は以下と発表されています。(敬称は省略しています)

  • 上田良一 NHK会長
  • 大久保好男 日本民間放送連盟会長
  • 鎌田薫 日本私立大学団体連合会会長
  • 榊原定征 経団連名誉会長
  • 白石興二郎 日本新聞協会会長
  • 寺田逸郎 前・最高裁判所長官
  • 林真理子 作家
  • 宮崎緑 千葉商科大学国際教養学部長
  • 山中伸弥 京都大学iPS細胞研究所所長

候補を考案

②③の有識者による候補の提出についての条件は以下の6つであるといわれています。

  1. 国民の理想としてふさわしく良い意味を持つ
  2. 漢字2文字である
  3. 書きやすい
  4. 読みやすい
  5. これまでに元号または送り仮名として用いられたものでない
  6. 俗用されている単語ではない

これは、法的に定められたものではありませんが、以上の6項目を見ればわかるように、ごく普通、当然といえば当然というような内容になっています。
ただし、②の「漢字2文字である」というのは、現在において常識となっていますが、過去には「天平感宝」「天平勝宝」「天平宝字」「天平神護」「神護景雲」といった4漢字による元号もありました。

今回の元号「令和」も例外ではなく、この全ての条件に当てはまっていると言えるのではないでしょうか。
「令」は良いという意味を持ちますね。
「令和」は、万葉集に収められている歌です。
天平二年、大伴旅人の官邸に山上億良らの宮人が集まって詠んだ「梅花の歌三十二言」の序文の冒頭で、作者は大伴旅人か山上億良とも言われます。

時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ梅は鏡前の粉を開き、蘭は佩後の香を薫ず。

これまでは、中国の古典から候補に挙げられたものが多かったのですが、日本の古典「万葉集」から、しかも漢文でないということが大きな違いでしょうか。

選定に重要な役割を果たす菅義偉氏

④の「内閣官房長官が候補を整理選定」というのが今回の記事の要です。
現行の内閣官房長官は、菅義偉氏です。
近代では新元号「令和」の発表は内閣官房長官がするのが常ですから、菅義偉氏が発表したのですが、閣議で決定されたことを単に発表しているわけではないということです。

有識者が考案した候補の中から、有識者懇談会を経て整理し、閣僚会議に向けて選定するのですから、大変重要な役割を持ちます。
菅義偉氏が決めるというわけではありませんが、新元号選定の経緯において決め手となる手順のひとつと言えるのではないでしょうか。

情報の保守

最後の⑦「臨時閣僚会議で決定」されたあと、すぐに会見を開き、新元号の発表となるわけですが、情報の漏洩を阻止しなければなりません。
「平成」が決定されたあと、情報の漏洩を防ぐために、閣僚や有識者を会議室に軟禁状態にしたというのは有名な話です。
会議室では、携帯電話などの通信機器を一時的に預かり、一切の連絡手段を断つことで情報漏えいを防ぎました。

今回の「令和」の場合、この軟禁状態という対応に猛反発した赤松広隆衆院副議長の意見により、前回の国会会議室から衆院議長公邸に変更されたといいます。
歴史ある我が国の元号を選定するという大事業なのですから、こんなことで反発するなら閣僚にならなければいいと思うのは私だけでしょうか。

 

新元号の決定を伝える

「平成」に改元された時は、新元号発表直前に宮内庁長官を通じて即位したばかりの天皇陛下に新元号が伝えられました。

今回の「令和」の場合、新元号の施行より1ヶ月前の発表となり、即位式もあとに控えていることから、保守派の不満を考慮し、発表直前に宮内庁長官・山本信一郎氏を通じて今上天皇陛下だけでなく皇太子殿下にも伝えられました。
天皇陛下の署名、押印をもって新たな元号「令和」が決定されたというわけです。

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